あらしっくのきっかけ

では、さっそくですが私のジャニオタの原点、あらしっくになるまでを。

余談ですが嵐オタさんの呼び方も変化したよね。アラシアンズとか美少女戦士みたいなんとか。今はなんていうんやろ。

 

きっかけは小学校の体育。小4かな?まさかの、「きっと大丈夫」落ち。曲落ち。

で、嵐曲いいなあって程度でした。特に担当とかもなく、まあいうたらお茶の間くらいかな。

で。小6の夏です。やまたろがはじまりました。

何故か、私発信ではなくお母さんが新聞のテレビ欄が見て、「このドラマ見よー」って。感想としては、普通に面白い、嵐の2人かっこいいなー、あんなお兄ちゃんほしいなー、くらい。当時塾でも流行ってて、かっこいいよねーみたいな。

そこからですよね。私いつも突然なんですけど、急に、夜中にはっと二宮和也が頭から離れないことに気づく。数日前に新聞で見たサタジャニかな?に彼がいた事を思い出す。夜中に古新聞を漁るも、もうない。

ってあたりが好きが加速しました。

その時塾で1番仲よかった子が潤くん好きで。

当時ガラケーをネット接続する事を親に禁止されてた私は、その子からメディア露出情報とかを仕入れてた。あとは今考えるとほんまにアナログなんやけど、新聞のテレビ欄で嵐が出る番組がないかをチェックしたり、Jnetの存在を知ってから度々パソコンを開いてはチェックしたり。

当時auのCMやってたから、地元の商店街でパンフレットもらったり。あとは嵐の宿題くん。夜中すぎて見せてもらえず、自分の部屋でこっそりテレビにイヤホンさして見てました。懐かしい。

そうこうしてると当然会いたくなる。コンサートに行きたい。SMAPファンの知り合いに聞くと、なんとファンクラブに入らないと基本的には行けないと。なんと。

確かでもなんやかんやでFCは中学生になってから入ったと思います。今とは違うくて、郵便局で払い込み用紙書いて。

中学に入ると偶然隣のクラスの子が同じニノ担で仲良くなったりした。

この辺から嵐の勢いすごかったから、メディア露出バンバン、追いかけるの大変って感じでしたね。お金もなかったし。当時の両A面シングルも、初回AかB散々迷ってどっちかだけ予約してました。前述の隣のクラスのニノ担はお金持ちで通常まで買ってたりと羨ましかったな〜

 

ってとこが入り口からハマるまでです。

もちろん大好きではあったけど、それよりも

周りよりいかに知ってるか、見てるかみたいなとこは正直あったかもしれません。

 

そして今後はかの隣のクラスのニノ担ちゃんと仲良くなってひたすら追い続けてた話を綴ります!